2014年(後期)テーマ ユング『赤の書』を読む(仮)  全4回

「ユングスタディ」の最初の企画は、ユングの『赤の書』を検討するシリーズです。『赤の書』は、ユングがフロイトと袂を分かち、自分の内的世界に沈潜していたときのイメージ体験の記録で、後のユングの思想の源泉になったとされるものです。その内容は断片的には知られてはいたものの、原稿はスイスの銀行の金庫に長らく保管されたままで、全貌については一部の人間以外与り知らぬものでした。これが出版物となって世に明らかになったのはつい最近で、ユングの死後50年ほどにもなる2009年です。ユングの研究は、この『赤の書』の出版をもって新たなステージに移ったと言えるでしょう。

 

 今回の「ユングスタディ」では、ユングについての最新のトピックとなる、この『赤の書』を取り上げていこうと思います。

 

・開催日時:9、10、11、12月の第1木曜日7時~9時(従来通り)

 

・講 師:白田信重氏ほか

 

第1回(9/4):オリエンテーション

初回オリエンテーションとなる94日(木)では、まず前半に『赤の書』の成立過程や出版に至った経緯など、『赤の書』を読む上で必要となる基礎的な部分を確認します。後半では、『赤の書』にユング自身が描いたイメージ豊かなビジュアルを実際に鑑賞していきます。

 

第2回(10/2):第一の書を読む

 前回の第一回では、初回オリエンテーションとして、まず前半に『赤の書』の成立過程や出版に至った経緯について説明をしました。出版された『赤の書』は、あくまで研究者たちによって今の形に落ち着いたものであって、これと関連する草稿を含むユングの様々な表現行為がその背後にあることを考えると、実態として『赤の書』はもっと広い領域に及ぶものであって、『赤の書』はいわば「輪郭のない著作」と呼べるものであることが示されました。後半では、『赤の書』に収められているイメージ豊かなビジュアルを鑑賞していきました。ユングの表現のあり方が、それ自身として変化していく過程をたどっていくことになりました。

 第二回となる今回では、実際に『赤の書』の内容を読み進めていきます。取り上げるのは、「第一の書」の部分になります。この書において、ユング自身である「私」は、「深みの精神」に導かれ、「この時代の精神」とは異なる魂のあり方を求めて、魂の荒野に降り立ちます。そこからさらに「地獄」へと降下した私は、おびただしい血と無数の蛇とで満ちた地下水流内で英雄の死骸を見つけます。私は奸計を用いて英雄ジークフリートを殺しますが、そのことを通して自分の中に「神」が受胎します。その後出会った預言者エリヤと盲目のサロメに導かれ、「神」に関わる密儀が執り行われていきます。

 

 荒唐無稽ともいえる神話的かつ蜜儀的なイメージが紡がれていく中で、後に『タイプ論』や『自我と無意識』などの著作に結実していくユング思想の原点が語られていきます。実際の進め方としては、まずは「第一の書」の全体の流れを概観した後に、重要と思われる箇所を読み進めながらユングの後の思想との比較を行い、皆で感想や印象を共有しながら議論を深めていきたいと思います。

 

第3回(11/6):第二の書を読む

 ユングの『赤の書』を取り上げるシリーズの第3回です。

 初回のオリエンテーションを経て、前回は『赤の書』の最初の章となる「第一の書」を読み進めました。「私」ことユングは、英雄を殺害することで自身の中に「神の受胎」をします。ここでの英雄は、既存の時代精神を象徴するイメージで、これを殺すことは、時代精神にとらわれていた今までの自分自身を捨て去ることを意味しています。そして神の受胎は、英雄の殺害と引き換えに自分の中に新しい精神のあり方が生まれてきたことを示しています。この後「私」は、預言者エリヤと盲目のサロメに導かれた密儀において、自らが異教の神の姿をしたキリストに変化するという体験に到ります。これこそが「私」に与えられた、実現されるべき新しい精神のあり方を先取りする包括的なイメージでした。ユングはこのイメージに強い感銘を受け、生涯追求することとなる様々なテーマをそこから導きだしてくることになります。『赤の書』はまさに、ユングの思想の原点となる体験を描いた書です。

 第3回となる今回は、「第二の書」を取り上げます。『赤の書』で最も分量が多く、ヴィジュアル的にも豊富な内容を持っている書です。

 「第一の書」で示された実現すべきあり方のイメージを受けて、「第二の書」では、そこへと到る道を様々に試行錯誤しながら実際に進んでいく旅が描かれていきます。読むだけで面白いエピソードが次々と起こる展開になりますが、一方で、話の流れを見失うことにもなりがちです。話の核となるモチーフを確認しながら、必要に応じて「第一の書」で示された内容にも戻りつつ、『赤の書』についての全体の見通しを得ていきたいと思います。 

 

 第4回:最終章「試練の書」を読む

 ユングの『赤の書』を取り上げる、ユングスタディのシリーズ最終回です。

 『赤の書』の「第一の書」は、ユングである「私」が、この時代の精神から離れて自身の魂の道を進むことで、実現すべき「両義性の神」のイメージを得るに到るまでが描かれていました。「第二の書」では、このイメージを実際に形にするためのプロセスが描かれており、『赤の書』のビジュアルの中心となる部分でもありました。「第一の書」において現れていたモチーフが改めて「第二の書」でも繰り返されていきますが、その同じモチーフに対する対応の仕方の違いに「私」の変化が現れていることが読み取れます。しかしながら「第二の書」の最後では、実現されたイメージは天上へと去ってしまい、ただ現実の「私」だけが残されるところで終わります。

 最終回となる第4回では、『赤の書』の最終章となる「試練の書」の内容を読み進めていきます。メインとなるのは、「私」の導き手であるフィレモンと迷う死者たちとの対話ですが、この部分については、ユングは形式を書きかえ、自分の名による著作ではなく古代アレキサンドリアのグノーシス主義者バシリデスの著作という形で、1916年当時に『死者への七つの説教』として出版しています。いわばユングの生前に出版された『赤の書』の一部ということになりますが、当時ヘッセの『デミアン』に影響を与えたり、後年マルティン・ブーバーがユング批判の材料として取り上げたり、ダブルバインド理論で有名なベイトソンがここでのユングの用語を自身の思索に取り入れたりと、様々なインパクトを世に与えることになりました。『ユング自伝』などの内容も参照しながら、ユング思想の中心となる発想が何であるかを明らかにしていくことで、今回の『赤の書』スタディを締め括りたいと思います。